マヤノトップガンってどんな競走馬?
ウマ娘プリティーダービーでは人懐っこい可愛い女の子のトップガン
リアルのマヤノトップガンはどんな馬だったのでしょうか?
誕生日 1992年3月24日
誕生場所 北海道新冠町川上悦男牧場
川上悦男牧場出身馬としては、ダートの交流G1を勝ちまくったブルーコンコルドや皐月賞馬であるナリタタイシン、ジャンプレースで活躍したゴッドスピードがいます。
デビュー戦は単勝1.7倍の圧倒的な人気で(鞍上は武豊)5着に敗れる。(勝ったのはのちの桜花賞馬 ワンダーパヒューム)
騎手 田原成貴が主戦を務めのちにG1を勝つ2頭がデビュー戦で対決してるのは面白いですね。
初勝利を挙げたのは4戦目という苦労人(馬か・・・)でした。
その後、3歳の5月末までダート路線で使われ、2勝まで勝利を重ねました。
足元が安定し芝路線に転向し、菊花賞トライアルの神戸新聞杯、京都新聞杯を共に2着と好走し菊花賞へと駒を進めたマヤノトップガンの人気は3番人気でした。
そして圧勝! 一躍スターホースの地位を手に入れることになります。
そして有馬記念も勝利し、見事1995年の年度代表馬となります。
そして伝説のレース
古馬となったマヤノトップガンの緒戦は阪神大賞典、ここで競馬史に残るレースが生まれます。
残り3ハロン(600m)付近から馬体を併せたマヤノトップガンとナリタブライアンのマッチレースとなります。
マヤノトップガンは2着に破れますが負けて強しの内容でした。
(ウマ娘の中でもナリタブライアンとのエピソードがありますね!)
その後、天皇賞春5着の後、G1宝塚記念に勝利、その後オールカマー、天皇賞秋、有馬記念と惜敗。
(サクラローレルの絶頂期に重なったという説も)
翌5歳シーズン、初戦の阪神大賞典を圧勝し、春の天皇賞そこでマヤノトップガンはこれまでの先行型のレースをやめ、後方待機策を取るのでした。競馬ファン皆がこの策は失敗だと思ったのですが・・・
伝説を作る馬 マヤノトップガン
後方待機策が失敗だと思った人が殆どだったなか、一気の追い込み勝ち!
またもや伝説に残るレースを今度は勝者として作るのでした。
引退、種牡馬へ
この激走が元だったのかは分かりませんが、屈腱炎を発症し引退したマヤノトップガンは種牡馬となりました。
種牡馬としてG1馬は出せませんでしたが、コンスタントに活躍馬を出したのでした。
2019年
2019年11月3日 マヤノトップガン 27歳 老衰のため死去。
穏やかな最期だったそうです。
そしてウマ娘へ
みんなのマヤちゃんとして転生しました! 実はミルシルはマヤちゃん推しです!