エルコンドルパサーってどんな競走馬?
ウマ娘プリティーダービーではマスクを付けた姿が印象的なエルコンドルパサー
しかし、実際のエルコンドルパサーはメンコを装着していません。
おそらくというかエルコンドルパサーという名の【エル】の字をメキシコのプロレス【ルチャリブレ】で活躍する覆面レスラー達同様の使い方をしたのだと思います。
スペイン語の「el」は男性名詞単数形につく定冠詞です。英語だと「the」ですかね。
日本のプロレスラーだと
新日本プロレスのエル・デスペラード選手が有名ですね。
女性だと基本「la」を使用します。
ということで、ウマ娘の中のエルコンドルパサーはルチャドーラなんだと思います。(elですけどね)
1995年3月17日米国で誕生
オーナーである渡邊隆氏の傑作とも言える配合理論を元に生まれたのがエルコンドルパサーです。
しかし仔馬の頃から目立ったものはなく、中央競馬の厩舎に入厩したのちの評価もあまり高くなかったそうです。
しかし1人だけエルコンドルパサーの能力を感じていた人がいました。
ライスシャワーの主戦騎手としても有名な的場均騎手でした。的場騎手は調教にまたがった際にその能力を感じたそうです。
その的場騎手で新馬戦を圧勝、続く2戦目も圧勝。
この2戦で2着に付けた時計差の合計は2.6秒ですから恐ろしいほどの能力です。
デビュー戦で負かしたマンダリンスターは後にG3京成杯を勝っているのですから弱い相手に付けた着差ではないことが分かると思います。
そしてG1 NHKマイルカップまで無敗で勝ち続け(騎手は全て的場騎手)、3歳の春を終えたのでした。
グラスワンダーとのライバル関係
ウマ娘でも描かれていますが、同世代のグラスワンダーとはライバル関係でした。
毎日王冠で初対決となるのですが、そこまでエルコンドルパサーもグラスワンダーも無敗でした。そして鞍上が2頭とも的場均騎手という運命のいたずらがその関係を引き立てる要素にもなりました。
毎日王冠で的場騎手はエルコンドルパサーではなく、グラスワンダーを選択し、以後エルコンドルパサーに騎乗することはなくなってしまいます。
最愛のパートナーを失ったエルコンドルパサーはその後、蛯名正義騎手という運命のパートナーに出会うのですが、実はフランス人騎手であるオリビエ・ペリエやNo.1騎手である武豊騎手にも打診をしていたようです。
しかし免許の件でペリエはNG、武騎手はサイレンススズカがいるからと断られてしまいます。
結果、蛯名騎手という事になって、世界で堂々戦うわけで、運命というのは分かりませんね。
フランス遠征、そして夢の凱旋門賞
3歳秋のジャパンカップを快勝したのち、古馬となりエルコンドルパサーは海外挑戦に挑み2戦目のG1サンクルー大賞を圧勝、蛯名騎手に嬉しい海外初G1勝利をもたらしたのでした。
そして凱旋門賞は見せ場十分の2着! 日本馬が初めて凱旋門賞を掴みかけたレースでした。
引退後、種牡馬生活へ
種牡馬としてはダート交流G1を勝ちまくったヴァーミリオンや菊花賞馬であるソングオブウインド、ジャパンカップダートを制したアロンダイトなどを輩出しています。
母の父としても宝塚記念やエリザベス女王杯を制したマリアライトがいます。
2002年7月16日
腸捻転のため7歳で死去 あまりに早い死を遂げてしまいます。
そしてウマ娘へ
素顔のエルコンドルパサーです(笑)